忘れらた瓜子姫
突然ですが、浜田広介という作家をご存知ですか?
もちろん、ご存知ですよね。
え、知らない?
では「泣いた赤鬼」というお話はご存知ですか?
もちろん、ほとんどの方がご存知ですよね。
あのお話を書いたのが浜田広介です。
「泣いた赤鬼」は最近、昔話だと誤解する方が多いのですが、これは広介自身によって創作された「童話」です。
浜田広介の作品……ひろすけ童話と呼ばれる……は、昔話の要素を多く取り入れているために、昔話と誤解されることが多いんですね。
それに、長い時がたって広介の名が忘れられているのもあるのでしょう。
偉大な作家の名と業績が忘れられているのは寂しい限りです。
とはいうものの、広介自身は晩年の随筆で「自分の作品が昔話と間違えられたことが嬉しい」というよなことを書いているので、いまの状況をむしろ喜んでいるのかもしれませんけどね。

さて、前置きが長くなりました。
広介は、昔話の要素を取り入れた作品だけでなく、「昔話を焼きなおした」、翻案童話とでも言うべきものもいくつか残しています。
その中に、「瓜子姫」を元にした「瓜姫物語」という作品があるのです!
年譜によれば大正12年(1923年)に発表された作品ですね。
この作品、現在ではほとんど知られていません。
広介の童話集にも、あまり収録されないのです。

内容は

・おじいさんおとおばあさんが畑でとった瓜から瓜姫が生れる。
・おじいさんとおばあさんが留守の間にあまのじゃくがやってきて、瓜姫を俵につめて天井から吊るす。
・瓜姫に化けたあまのじゃくだが、正体を見破られ逃げ出す。
・俵の中から瓜姫を救い出すが、瓜姫は虫の息になっており、意識も戻らない。
・事情をしったからすが「命の水」があれば助かると言って、それを取りに行く。
・あまのじゃくの妨害にあうが、からすは無事命の水を取ってきて、瓜姫は助かる。
・からすはあまのじゃくを懲らしめる。

というもので、元々陰の薄い瓜子姫(ここでは瓜姫)はやはりなんの活躍もせず、後半はからすが主役となっています。
この作品がどうして、あまり知られていないのか、というのはいくつか理由が考えられます。
以下のものが大きいでしょう。

1、長い
広介の童話は短いものが多いですが、「瓜姫物語」は他の作品の倍以上あります。短い作品なら、3〜4作品ぶんくりあの長さはあるしょう。
これをいれるくらいなら、もっと他に入れるべき作品はたくさんある、ということでしょうね。

2、つまらない
あ、言っちゃったwww。
だって、後半はからすの活躍、のわりに「どうしてここでからすが?」というのはなんの説明もないんですよ。
それに、命の水、なんてのがいきなりでてきても……。
長い割には、どうも、となってしまうんですよね。

3、やはり純創作のほうが評価は高い
他の昔話翻案もあかり採録されません。やはり、純粋な創作童話の方が、好まれるのでしょうね。

以上のことでしょう。
このように、いまではあまり省みられない童話ですが、いろいろと興味深い謎があります。
例えば、広介は「瓜子姫」をなんども書き直しており、
発表の翌年に出した童話集では後半の命の水探索を切り捨てています。そのため、瓜姫が死んでしまって終わりですが……。
そして、その後に「こどものとも」で「うりひめとあまのじゃく」という作品を出した時は、俵から助け出された瓜姫がおじいさんとおばあさんの介抱で息を吹き返してめでたしめでたし、になっています。
なぜ、このような改稿を重ねたのか?
そもそも、広介はなぜ、童話の題材に「瓜子姫」を選んだのか?
そして、彼が母から聞かされたというもともとの「瓜子姫」はどのようなものだったのか?
など、考察する要素はいろいろあるのです。

「瓜子姫」研究の一環として、浜田広介の業績の再評価として、この「瓜姫物語」研究は意義のあるものと考えているのです。

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