どうする? オチ

瓜子姫のおはなしは、「瓜子姫が木にしばられた」(あるいは殺された)というシーンのインパクトが強すぎで、本来お話の核であるはずのオチの印象が弱いといえるでしょう。
つまり「あまのじゃくの悪事がどうして発覚したのか」という点です

一番多いのは
カラスの報告
です。
カラスが「瓜子姫のかごにあまのじゃくがのっている」とうたったため、ことが発覚する、という内容ですが、
これは少々説得力に欠けますね。
子どもはもちろんおとなでも「なんでカラスがいきなりでてくるの?」「どうして人間の言葉をしゃべるの?」とつっこみたくなることでしょう。
これはもともと
「カラス(鳥)は殺された瓜子姫の魂の化身」
であったそうです。つまり、瓜子姫死亡型では意味があったものの、
瓜子姫が助かるタイプの話で、このカラスを出してくるということはまったくのナンセンスである、と言うことができます。

次が
瓜子姫をしばった木の前を通る
というもの。
お嫁入りなどの一行が、瓜子姫が縛られている木の前をとおり、しばられた瓜子姫が
「かごにのっているのはあまのじゃく」と叫ぶ、あるいは唄う、あるいは泣く、というタイプです。
おそらく、上記のカラスに疑問を感じたひとが改定を試みたのでしょう。
しかし、
無理がある。
「なぜ、あまのじゃくは木の前をとおらないように計らなかったのか?」
「かごは迎えに来たときも木の下を通ったはず。なのに、なぜ瓜子姫は助けをもとめなかったのか?」
と、疑問はつきません。
あまのじゃくは周到に用意し、瓜子姫を誘い出してしばったわりに、こんな基本的なミスをおかすとは。
まさに
つまらない
のひとことに尽きるでしょう

「あまのじゃく」ゆえの自滅
さいごは、中国地方にまれにみられる、という形。永岡書店のアニメ絵本「うりこひめ」でもこの型が採用されています。
あまのじゃくがのったかぎは分かれ道に出ます
いっぽうはうりこひめを縛った木の前へと続くため、反対の道を進むように言おうとしますが、いつも反対のことばかりいっているため、瓜子姫のいるほうの道へ進むように言ってしまう。そのあとは、上記と同じ展開です。
比較的新しいモチーフというころもあり、もっとも優れた展開でしょう。
あまのじゃくの自滅には、ユーモアが感じられます。

瓜子姫の活躍
しかし、これらはどれをとっても、瓜子姫がなんの活躍をしていません
せいぜい、「ほんものはわたしよ」と叫ぶ程度で、とてもではないが活躍とはいえません。
ここは、脚色をして瓜子姫活躍の場面をいれるか?
あなたのご意見はどうでしょうか?


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