なぜ普及しない

瓜子姫はなぜ普及しないのでしょう?

まずあげられるのは、「話のバージョンが多すぎる」ことでしょう
昔話というのは、瓜子姫に限らず地方によってバージョンが違い、
たとえば桃太郎でも、鬼退治をしないバージョンというのが存在するように。
しかし、
桃太郎の場合、定番の筋があります。
「桃から生まれた桃太郎が、犬猿キジを黍団子で雇い家来にし、鬼退治をする」という黄金の定番が
瓜子姫にはその定番がない!
いまだに整理・洗練されぬまま放置された状態なのです。
これではメジャーになりようがありません。

次にあげられるのが「残酷だ」というもの
これは瓜子姫が死亡する場合はもちろん、あまのじゃくが殺されるものも含められるでしょう。
現在の子どもからすれば「主人公が死んだ」というのはもちろん大ショックであり、
「悪者とはいえ、惨殺される」という展開もいただないでしょう。
とくに、親が「残酷だ」と思えば子どもに読ませない可能性があり、そこで普及の道はたたれます。

そして次に
「卑猥だ」
ということがあげられるでしょう。
あまのじゃくは多くの場合「男性」として扱われることがおおく、
「男性が女性に暴行を働く」という描写がどうも生々しくうつります。
死亡型はもちろん、「木に縛る」「着物を剥ぎ取る」、という描写もかなりいやらしいイメージを与えます。

そして一番大きいのは、
展開に無理がある
というところです
縛られ型の場合ですが、
前に述べた通り、
体格の差、力の差があるとはいえ、そんな簡単にひとを縛ることができるか。抵抗があるにきまっているのに」
という点につきます。
多くの場合、木の上で瓜子姫を縛っていますが、そんなバランスの悪いところではまず無理でしょう。
着物を着替えさせたり、木に登らせたりするのも「深窓の令嬢である瓜子姫が、こんなことをするか」という疑問は残ります。
そして、あまのじゃくの悪事の露見の仕方
一番多いのは
「カラスが教えてくれる」というものですが、
なんの複線も脈絡もなく、カラスが登場し、そして人語を喋るというのはいかがなものでしょうか?
納得できるでしょうか?
もともとカラスは瓜子姫死亡型において「瓜子姫の魂の化身」の象徴だったようです。つまり、話の展開を変えたら、成立しなくなるエピソードをそのまま残してしまっている、という状態なのです。
そして、「お嫁入りのかごが瓜子姫が縛られている木の前を通る」
というのも無理があります。
なぜ、かごに乗ったあまのじゃくはそこにいかないようにしなかったのか?
そして、かごは行きも木の前をとおっているはずなのに、どうして瓜子姫は助けを求めなかったのか、と疑問はつきません。

そして最後に
瓜子姫が活躍しない
という点
主人公のはずなのに、まったくといっていいほど瓜子姫は能動的に動きません。
これではは、現代の読者に好感はもたれませんね
だから、タイトルも「うりこひめとあまのじゃく」なんて敵と併記されることになるんです。

もともと語り継がれたお話のため、完成されない、荒削りなところが出てしまったのでしょう。
もちろん、それはそれでいいですし、資料として残すべきでしょうが、
普及させていくとあんるとこれは少々まずい。
多くのバージョンの中から最も無理のないものを選び、また核心を変えない程度に脚色を加え、
完成した話を作る必要があると考えられます。
桃太郎も、元もとたくさんのバージョンがあったのが整理され、無理があるところは修正され、メジャーな話になっていったのですから。
では、瓜子姫の定番はどうすべきか?
それは次で語るとしましょう



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