あまのじゃくとは?? 2
さて、前回の考察にて、あまのじゃくは単なる悪ではなく、本来は「作物を刈る者=豊穣を受け取る者」であり、「大地に豊穣をもたらすために神を殺す」=採取者の役目を背負っているのではないか、と論じました? しかし、そうすると矛盾が生じます。 現在、あまのじゃくの血が植物を染めるというモチーフは「殺された神」のモチーフの名残であるという説が有力視されています。しかし、そうであれば、なぜ「作物を刈る者=豊穣を受け取る者」であり、「大地に豊穣をもたらすために神を殺す」あまのじゃくの血なのでしょうか? 瓜子姫が殺される神とすれば、植物を染めるのは瓜子姫の血でないとならないはずでは??? おそらく、本来はそうだったと考えるべきでしょう。 現在でも、数は少ないものの、殺された姫の血が植物を染めるというモチーフのものは存在します。 おそらくは、それこそが本来の型に近いと見るべきなのでしょう。 つまり、時代が下るにつれて、あまのじゃくは本来姫の役割であった「殺される女神」の役まで引き受けることになってしまった、ということです。 これは、あまのじゃくが作物を扱いたという話とも繋がりますが、そこでも血が植物を染めているわけであり、採取者としての側面と共に殺される神の側面も持っている、ということになります。 これは、あまのじゃくはアマノサグメとしての性格と共に、アメワカヒコ=殺される神の性格をも有しているということになります。 この「あまのじゃく」の昔話と「瓜子姫」にあまのじゃくが登場するのはどちらが先かはわかりません。しかし、神話などとの関係を見ると、おそらくあまのじゃくがアマノサグメとアメワカヒコ、つまり採取者と殺される神の両方の性格を持った方が早いのではないか? と考えています。 さて、そう仮定すると……。 「瓜子姫」には、瓜子姫という殺される神がいます。だとすると、あまのじゃくという殺される神としての性格を持つ存在は不要という事になります。 とすると、 ●「瓜子姫」の昔話とあまのじゃくは本来は直接の関係はなかった という可能性が指摘できます。 ただ、 ●「瓜子姫」もあまのじゃくも、どちらも「ハイヌヴェレ型神話」の流れを汲んでいる。 ため、双方は、先祖を同じくする話であることは間違いありません。 先祖を同じくするゆえに、あまのじゃくは「瓜子姫」に敵役として結合され、やがて「殺される神」の役目も担うようになったのではないでしょうか? そうなることにより、「姫を殺した敵は報いを受ける」という昔話としてはオーソドックスな型に落ち着くこととなります。 そしてやがて、あまのじゃくが姫の「殺される神」としての役割を担う以上、 姫は殺される必然性が無くなる=生存型「瓜子姫」の成立 ということになるのです。 あまのじゃくは姫の役割まで押し付けられた、いわば悲劇の存在というわけですね。 いえ、逆に考えれば……。 殺される神の役割を奪われたせいで、姫の影は薄くなったとも言えるから……。 姫の方が、実は割を食ったのかもしれませんね。 戻る |