象徴としてのあまのじゃく

あまのじゃくをはじめとする、瓜子姫の敵役たち。
民間説話というものは、多かれ少なかれなにかの「象徴」を含んでいるものですが、彼らにはどんないみが込められているのでしょうか?


1、天災の象徴
「あまのじゃく」は、山彦だとする地方もあるそうです。
なるほど、ひとに姿を見せないでまねをする、まさに、ひねくれもののあまのじゃくといったイメージですね。
このように、
妖怪=自然現象の擬人化
という例は数多く見られます。
瓜子姫が殺され、あまのじゃくがなんの罰も受けずに逃げてしまう展開。
そこでのあまのじゃくは、「天災」の象徴だと考えられます。
相手が天災である以上、人間にはどうしようもできません。
せいぜい、命を落とさないように注意するのが関の山。
瓜子姫は「あまのじゃく」という天災で命を落とすものの、それはおじいさおばあさんにどうにかできるような存在ではありません。
むしろ、注意されていたのに戸を開けた瓜子姫、ひいてはもっとよく注意しなかったおじいさんおばあさんが悪い、ということになるのです。
天災では、自身の身を守るのは自身。
そして、天災で命を落としたもののことをいつまでも引きずるな。
天災で家族を失うことの多かった時代だからこそ、こんな無残で納得のできない展開なのかもしれません。
このタイプは東北という、貧しく気候の厳しい地方に多いのはそのためでしょう。


2、人災の象徴
一方、あまのじゃくが罰を受ける展開。
あまのじゃくは、「人災=人間の犯罪」の象徴であると考えられます。
人間である以上、悪いことをしたら罰を受けるのはあたりまえなことでしょう。
「悪いことをしたら報いがある」ということを教訓として教えることに重きをおかれたのがこのタイプであると思われます。
天災への「諦め」と「備え」の教訓か。
人災への「予防」と「教訓」か。
どちらを話者が重視するかで、物語がかわっていったのでしょうね。

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